核兵器が落とされると、落とされた場所ってどうなってしまうの…?

核兵器はたくさんの人を殺すために作られた恐ろしい武器です。

核兵器が戦争の中で使用されたのは、1945年の8月6日と8月9日です。

広島と長崎に原子爆弾が落とされました。

広島と長崎に投下された時の状況から、どのような被害が起きたか、私たちが住む街に落とされたらどうなってしまうのかを考えていきましょう。

広島と長崎に投下された原爆

まず、広島と長崎に落とされた原爆についてご紹介します。

広島に投下された原子爆弾は、「リトルボーイ」と呼ばれています。

この爆弾は、ウランを用いており、小型の原爆であったためチビを意味する「リトルボーイ」と名付けられました。

細い筒状の中は、両側に濃縮させたウランを2つに分離して置かれています。

これを高性能爆薬の爆発で一つに集めます。

そのエネルギーを利用して、核分裂が連鎖的に起こるようにしたものです。

一方、長崎に投下された原子爆弾は「ファットマン」と呼ばれています。

見た目が大きいことから、「ふとっちょ」を意味して名付けられました。

広島の原爆とは異なり、プルトニウムを用いています。

球形の中にプルトニウムを置き、高性能爆薬の爆発により、一気に周囲から圧縮させます。

その圧力によって核分裂が連鎖的に起こるようにしたものです。

広島市と長崎市はそれぞれ 16 キロトン(KT)と 21KT の原爆によって壊滅しました。

global Network より引用

広島での被害

建物への被害

広島へ投下された原爆によって、当時約35万人の人がいた広島市では、1945年末までに約14万人が亡くなりました

原爆は、広島市内中心部にある島病院の上空約600mで爆発しました。島病院の壁の厚さは1mもありましたが、爆風でほとんど吹き飛ばされてしまいました。

当時、爆心地から3㎞の範囲内に市内の全建物の約85%がありました。

被害は市内の全域、建物の90%以上が破壊されるか消失してしまいました

熱線

原爆の炸裂と同時に、爆発点の温度は数百万度となりました。

空中に発生した火球は、0.2秒後に直径400mの大きさとなり、この火球から四方に放出された熱線は、爆発0.2秒〜3秒後までの間、地上に強い影響を与えました。

その影響で、爆心地周辺の地上の表面の温度は3000から4000度といった超高温に達しました。

鉄の溶ける温度は約1500度ですので、凄まじい威力であることが想像できると思います。

爆心地から600m以内の屋にある瓦は、表面が溶けて沸騰し、ぶつぶつの泡状になりました。

爆風

原爆の爆発の瞬間、爆発点は超高圧な状態となりました。

急激に高圧になったことから、周りの空気が急激に膨張し、爆風が発生しました。

爆心地から半径2kmまでの地域では、木でできた家屋はほとんど倒壊しました。

鉄筋コンクリートでできた建物は、崩壊しなかった場合でも、中にあった家具は吹き飛ばされ、窓は粉々になり、その後の熱線や火事の影響ですべて焼失するなど、とても大きな被害を出しました。

爆風により、建物だけでなく、人々も吹き飛ばされました。

即死してしまった人、吹き飛ばされた建物の下敷きになってしまい死んでしまった人が相次ぎました。

長崎での被害

建物

当時の長崎の人口は約24万人でしたが、1945年12月末までに約7万4千人が亡くなりました。

原爆は、たくさんの人が住んでいた松山町の上空500mで炸裂し、長崎市内にあったおよそ7割の建物が全半壊か全焼しました。

爆風によって、爆心地から600m離れたところでも、鉄骨や鉄筋コンクリートでできた頑丈な建物が構造的な損傷を受けました。

原爆により、長崎市の広い範囲に建物の被害が及びました。

熱線

跡形なく焼けた範囲は長崎駅付近にまで及び、火災の範囲は、爆心地から3km以上離れた長崎市役所付近にも及びました。

原爆が爆発した時、直径約280mの火の玉ができました。

地上の表面温度は3000から4000度になり、外にあるもの全てが焼けてしまいました。

これは、太陽と同じくらいの熱さです。

ガラス瓶は溶け、石をも沸騰してしまいました。

爆風

広島と同様、長崎に落とされた時にものすごい力の爆風が生じました。

たくさんの建物が吹き飛び、瓦礫の下敷きになり、多くの人が亡くなりました。

また、吹き飛ばされた窓ガラスのかけらが吹き飛び、人の身体に突き刺さりました。

共通して言えること

病院、学校、市役所、工場、商業ビル等あらゆる都市インフラが崩壊してしまいました。

交通、電気、通信、放送の設備も完全に、または部分的に崩壊しました。

救援隊による意味のある救護活動は全くなかった状況とも言えます。

医師、看護師、薬剤師も多くは原爆によって死亡しており、医学的救護活動も最低限に止まってしまいました。

少ない生存者がかろうじて鉄道で運ばれ、近辺の病院に運ばれたくらいでした。

しかし、その運ばれた人たちもひどい外傷や重症の急性放射線症により次々に亡くなっていってしまいました。

今、核兵器が使われたら

恐ろしい被害を及ぼすこの核兵器が、もしも現代に使われたらどうなっちゃうの…?

当時と比較して、建築法や IT 技術等が変化したインフラを持っている現代都市に対する核兵器を使った攻撃を想定し、核爆発のもたらす多方面への影響を検討することによって、現代における核兵器爆発のもたらす人道的結果を推定することを目的にした「核兵器使用の多方面における影響に関する調査研究について」という論文があります。

その論文を元に「今、核兵器が使われたら」について考えていきましょう。

【論文の中で想定されている状況】

都市:人口100 万人。広島同様の平坦な都市。

原爆:広島型爆弾と同じ 16KT の原爆攻撃を受けた場合。原爆はほぼその中心部分の上空 600mで爆発する。

水爆:同じ都市の上空 2400mで1メガトン(MT)の水爆が爆発した場合。

原爆の場合

爆心から半径 4.5kmの昼間人口を48 万人と仮定し、 600mで爆発した場合することを想定します。

死者数は6万6千人で、負傷者数は 20万5千人と推定されました。

現代都市での死者数が広島の死者数より少ない理由は、当時よりも建築の強度の著しい進歩によって、ビルの中にいる人々の死亡率が低くなると見積もったためです。

負傷者の中から、その後の放射線障害などで死亡者が出てくると予想されています。

都市インフラは、この範囲内では、ほぼ完全に壊れるか剛構造の建築物は半壊し、都市機能は壊滅してしまいます。

これら即時の被害だけでなく、3から4年後から原爆放射線による人体影響(後障害)が発生して来ると予想されています。

後障害では、まず白血病が10から20年発生し続けます。そして、あらゆる固形癌が30から60年 (被爆者の一生涯)にわたって発生し続けます。

水爆の場合

1 MT級の水爆の爆発の場合、100万都市とその周辺40万人が直撃され、37 万人が死亡します。

そして、46 万人が負傷します。

放射線は爆発する場所が高いため、半径3kmの円内の範囲であると想定されています。

放射線被ばく者の数は3万6千人と原爆よりかなり少ないものになると予想されました。

爆風と熱線は、半径18kmの円内を全て破壊し、焼き尽くします。

現代の都市が、現在では最も小型の核兵器である原爆で攻撃された場合、さらに最も小型の水爆で攻撃された場合、1945 年の広島・長崎の被害状況を遥かに超える人命の喪失と都市インフラの破壊をもたらすことが明らかとなりました。

まとめると…

このように、核兵器は子供から老人まで、無差別に人を殺してしまう兵器です。

死なずに生き延びることができた被爆者も、生涯にわたって白血病や癌の発症の可能性に怯えなければなりません。

このように核兵器は、物理学的な被害はもちろん、医学的に耐えがたい短期から長期の影響をもたらす兵器であると言えます。

最後に

この記事では、環境への影響に重点を置いて説明しました。

今回は詳しく説明しませんでしたが、放射能の影響・人体への影響などはこの限りではありません。

自分が暮らしている街に当てはめて、自分のこととして考えてみてください。

「我がごと」として核兵器がどんなものか、よく考えてみよう

参考文献

ながさきの平和「原爆の威力」

国際平和拠点ひろしま「中心からどれくらいの距離に被害が出たの?」

朝長万左男,鎌田七男,葉佐井博巳,伴金美&林春男.(2013).核兵器使用の多方面における影響に関する調査研究について

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