原爆投下から78年。広島に原爆が投下された8月6日を前に、長崎に住む佐倉と広島で生活をする町田が原爆資料館を見学しました。

今回は、ISSOKUメンバー同士の対談の様子をお届けします。

長崎と広島で生きて

佐倉:町田さんは長崎の出身で、今は広島で生活されていると聞きました。広島での生活がはじまったきっかけについて教えてください。
町田:私は長崎から広島大学に進学したため、今広島で生活しています。

佐倉:私も長崎出身なのですが、長崎では8月9日が登校日だったりと「平和学習」を行う機会が多いと思います。

町田さんにとって印象的だった学習内容はありますか?

町田:調べ学習などを繰り返し行っていたことが印象的でした。

歳を重ねるごとにより解像度が上がり、より深い祈りの感情を培ってきたと思っています。

佐倉:調べて知り、「祈り」の感情を育む。とても素敵な表現だと思います。

町田:印象的だった平和学習の内容はありますか?

佐倉:私は、動物園の象の話を今でも覚えています。空襲がひどくなって、動物園の動物が逃げ出さないように処分しなければならなくなり、仕方なく象を殺すという話です。飼育員さんも別れを惜しみ、泣きながら象とお別れをします。理不尽さへの怒りと、悲しみを小学生ながらに感じたことを今でも覚えています。

広島の原爆資料館を見学して

佐倉:広島の原爆資料館に来たのは初めてですか?
町田:はい。今回が初めての来訪でした。

佐倉:私も初めて訪れました。長崎の原爆資料館との違いは何かありましたか?
町田:資料の多さはやはりこちらの方が多いなと感じましたが、一番の違いはメッセージ性や訴え方の違いだと感じました。

実際に被爆した方の名前や身に付けていたものが展示されており、当時生きていた方々の存在を常に意識させられました

町田:佐倉さんにとって、広島の原爆資料館の中で特に印象的な展示はありましたか?

佐倉:圧倒され写真におさめることすらできていなかったのですが、「お弁当箱」です。お弁当の中には、お母さんがお米やじゃがいもの炒め物を入れたという記載がありました。展示されていたものは、中身が真っ黒な炭になったお弁当でした。とても苦しい気持ちになりました。

町田:お弁当箱など、広島の原爆資料館には「日常の中に起きた出来事」として捉えやすくなる工夫がたくさんあったように感じましたよね。

佐倉:町田さんは、長崎の資料館と共通して言えることはなんだと思いますか?

町田:やはり原爆がもたらした数多くの破壊と、それを後世に伝えていくための強い意志が共通して示されていたと思います。二度と繰り返してはいけないという強い反戦の思いは規模や人数に関係のないものだと感じました。

佐倉:長崎と広島は比較されがちですが、「もう二度と繰り返してはならない」という意識に違いはありませんよね。

そして、この気持ちを絶対に忘れてはならないと思いました。

広島で感じる「平和」

佐倉:長崎から広島に来て、何か「平和」に対する思いに変化はありましたか?
町田:原爆によって起こった数多くの凄惨さをより意識することが増えたように感じます。

広島市内へ赴く度に目に留まる「原爆ドーム」の存在も大きいのかもしれません。

佐倉:「原爆ドームが在ること」にどのような意味があると思いますか?
町田:長崎にも数多くの遺構があることに間違いはないのですが、存在としてもたらすメッセージ性というものがより強く感じられるのが私の印象です。街中でぽつりと存在しているだけでもそこだけ空気が違うように感じられ、反戦の思いを風化させずにいられるのだと思います。それに、今回来訪した原爆資料館の展示ルートは、多くの”惨さ”を残した資料を巡った後、窓から「原爆ドームと慰霊碑」が見ることができるつくりになっていました。窓から外を見た瞬間、単なる「歴史の記録」ではなく、「実際にこの町で起きたことなんだ」と強く感じました

「平和」とは

佐倉:町田さんにとっての「平和」とは、どのようなものでしょうか?

町田:一人ひとりの立場や価値観で答えが変わるこの問いに、私はいつも同じ解答をしています。

それは、「命を脅かされずに全うすることができる環境」だと考えています。

佐倉:生きることが肯定されなければ、平和ではありませんよね。

町田:そう思います。繰り返しますが、この問いは一つの答えが導かれるものだと思っていないので、「私のこの意見だけが正しい」とは言えません。ですが、私が今こうして平和とは何かを考え、学び、追及できているのは私が今こうして「生きているから」だと考えるのです。こうした日々を過ごし、このような発信ができる機会を得ることができた”今”は間違いなく平和であるからだと私は考えます。

佐倉:今、世界で起きている戦争について何か思うことはありますか?

町田:私は戦争が起こったとを初めて知った時、とてつもない衝撃の感情を持ったにもかかわらず、今では少なからず薄らいでしまっているのが正直なところです。実際、地理的にも、そして情報としても遠い存在であることが私にとっては大きな事実なのですが、情報が更新される度に、反戦の思いが蘇ることも事実です。ですから私は一人ひとりが”出来事”として風化させてしまう前に、この戦争から何かを学び、平和を祈る一人の人間として思案することが最も重要なのではないかと思います。

佐倉:実際、世界で起こっていることを「自分のこと」として考えることには難しさもありますよね。だからこそ、今回のように資料館を見たりして知ることが、追体験に繋がるのだと思いました。町田さんは、出来事として風化させてしまわないように、具体的にはどのような取り組みが必要だと思いますか?

町田:まず間違いなく必要なことは知る機会を設けることだと考えます。知らなければ考えることも、当然思いを発信することも共有することもできませんから。本や実際の資料に限らず、たとえ漫画やアニメ、映画のような媒体だったとしても反戦の思いは育むことができると私は考えているので、それぞれの人にとって最も届きやすい形で知るきっかけを作り出すことが必要だと思います。佐倉さんはどのようなことが必要だと思いますか?

佐倉:私も町田さんと同じように、どんなきっかけであれ、平和について「考える」ということが大切なことだと思います。しかし、「怖くて知りたくない」という気持ちがある人もいると思います。実際私もそうでしたからね。戦争についての知識だけでなく、色々な社会問題について考え、自分なりの考えを模索していくことが結果的に「平和」に繋がると思います。ですので、何かの知識に出会った時、「自分や平和とはなんの関係もない」と思わずに、実は関係しているかも?とちょっとした疑問を持つことが必要だと思っています。

町田:疑問を持ち、課題に気づくことはとても大切なことですよね。

佐倉:そうなんですよね。認識してはじまることもあると思っています。本日はありがとうございました。

町田:今回の対話で、自分の思いを再確認できたと思います。ありがとうございました。

編集:ISSOKU編集部

写真:佐倉ゆい

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