この記事を書いたのは?

Umicopy

出身地:岡山県

ピアニスト。コンポーザー。母親の影響でクラシック音楽に親しみ、クラ シック聴きながら眠るのが幼少期の一番幸せな時間でした。でもピアノの練習は苦手でした。嫌 になって10年ほどピアノから離れていた時期を経て、再びピアノの前に戻ったのは、そこに私の アイデンティティを見つけたから。現在、色々な思いをピアノに乗せて表現しています。そんな仕事ができていることに感謝する毎日です。 そんな私が、ここでは音ではなく、文字で表現する挑戦をさせていただきます。 さっそくですが、音楽のいいところを書き綴るとしたら、単純に、それは魅力的な人が輝けるという事。性別も、年齢も、国籍も、人種も、何にも関係ない。ひたすらに、魅力的であるかどうか、だけなのです。何か醜い事が起こったとしても、最後に残りうるのは、人間として音楽家として美しく魅力的な人だけが残るようになっています。みんなが望む全世界平和は、今あなたがそこで聴いている音楽が既に実現させているという事実を、私の身の回りで起きたエピソードを交えながら皆様にお伝えできれば幸いです。

地方出身者が都会に行くと

私は岡山県岡山市に住んでいます。

と言うと、音楽大学に進学するため上京した時のことを思い出します。

よく「岡山ってどこ?」 と同級生に聞かれていたのです。

驚くことに「四国にあるの?」と聞かれたことも!「広島と神戸に挟まれた県だよ。 」と言えばわかる人はわかってくれます。

「神戸」ではなく「兵庫県」というと(兵庫県神戸市ですからね)、 わからなくなる人もいました。

音楽に打ち込んで来た精鋭たちには、 岡山がどこにあろうと自分の音楽的鍛錬には関係なかったわけです。

東京の音楽大学を辞め、入学し直した大学の専攻が 「地理」 ということもあって、 岡山の所在地はもちろん、行ったことあるという子も多く、 「白桃だよね!」と名産品 まで言い当てるツワモノもいました。

岡山に住んでると、夏は白桃がご近所さんや知り合いの間で行き交います。

ちなみに、最近はピオーネやシャインマスカットが行き交うこともあったりするのですよ。

地方の中でも

地方から東京に出た時だけではなく、この現象は「地方の中でも」当然生まれてくるのです。

私は岡山の中でも、岡山市内にあるの岡山駅徒歩圏内で生まれ育っているので、どちらかと言えば都会っ子でした。

身近には海外から来たり、家族がお医者さんという同級生が数人いました。周辺には国立大学附属病院や市民病院などたくさん病院があって、今思えばそれらの病院に留学や研究できていたのでしょう。

なので、物心ついたころには、 苗字が 「ウチらとちょっと違う子」 という人が当たり前にいました。

でも「 だから何だろう」というくらい、外国から来た人は自然に受け入れられていました。

私たちの中では生まれた場所がどこだったかという下地はなく、「この学校に集まった者」というように、ただそれだけで等しい存在なのでした。

子どもの我々にとっては「外国人」という認知すらなかったと思います。

「いいヤツは仲間」といった感覚。 それだけ。

そんな小学校6年を経て、 地元の中学に入学する際、隣接学区の児童も同じ中学に集まって行きます。

駅前で商店を営んでいるような 私たちよりもっと街の中心部で育った子と、新興住宅地として開発されつつある郊外で 元々は農家だったりする田園部で育った子が入り混じるのです。

私たちはその田園部の子を恐れていました。

端的に言ってしまえば、街の方で育った私からすると(当時の感覚からですが)「ヤンキーが多い」というイメージがあったからです。

彼らは入学してしまえば学年の半分を占めるマジョリティです。

田園部の人々がマジョリティだからこそ、街の方で育ったマイノリティを排除しようという動きがあることを噂に聞いていたからです。

しかも、手荒なやり方を行うという噂を耳にして「怖いなぁ」と思っていました。

人々の心の中にある「ウチとソト」を恐れていたのです。

小さな集落に永らく住むには、助け合ったりいい意味でのお節介があったり、そうやってみんなの足並みを揃え平穏を保っている。

「ウチの土地をソトの者から守る。このような文化が根強い場合、隣人に関心をよせ過ぎず、適度な距離を保って生活してきた人たちからしたら、怖かったのです。

逆に言えば、そのような文化の中で生き、重んじてきた人々からすると「誰にでも一定の距離をおき、他人に興味がないように見える街から来た人たち」怖かったのかもしれませんよね。

これは私の行っていた学区に限らず、日本全国どこにでもあるケースではないでしょうか。

善悪の問題ではなく、 マジョリティ、マイノリティが生まれてしまい、それらがお互いに影響しあってしまう。

共生できれば良いものの、価値観の違いなどから必ずしもそうはいかないことが我々が生きる社会には、いつだって起こってしまうのです。

惹きつけられる物語とは

学校の中は社会よりももっと小さな空間です。

みんなが妥協したり、棲み分けたりしながら関係をならしていく。

そういうことが求められ、なんだかんだで関係をならしていくのです。

子どもなりに平和を保とうとするのだから、 人間は必ずしも争う必要はないようにできているのではないかとも思えるのです。

子どもたちは自分達で試行錯誤を重ね、解決策を見出します。

たとえ争った相手であっても、後に友情を深めていたりすることだってあります。

雨降って地固まるという。

諺を体現しているようなこの光景を目にすると、ヒトが織りなす美しい光景であると感じるのです。

思春期のコントロールできない感情をぶつけ合い葛藤する姿は、どこか「人間らしさ」を感じら れる、美しい友情という平和のストーリーへ昇華していく。そして大人になっていく。

この類の物語に支持が集まるのは、そこにカタルシス効果を見出す事ができるからではないでしょうか。
ところがです。

そんな経験を経て大人になっても、争いは絶えず、その証拠に今でも世界で紛争が続います。

知恵も、経験も子ども時代より豊富になってるのに、それが枷になって身動き取れな くなってるなんて。

大人になってもなお葛藤しているのです。

「人間らしさ」はどこまでもわたしたちに付きまとい、対応を迫ってくる。

そういう時こそ、子どもならどうするか、子どもの頃どうしてたかを思い返してみる。

もしかすると、そこに答えがあるかも知れません。

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