この記事を書いたのは?

Umicopy

出身地:岡山県

ピアニスト。コンポーザー。母親の影響でクラシック音楽に親しみ、クラ シック聴きながら眠るのが幼少期の一番幸せな時間でした。でもピアノの練習は苦手でした。嫌 になって10年ほどピアノから離れていた時期を経て、再びピアノの前に戻ったのは、そこに私の アイデンティティを見つけたから。現在、色々な思いをピアノに乗せて表現しています。そんな仕事ができていることに感謝する毎日です。 そんな私が、ここでは音ではなく、文字で表現する挑戦をさせていただきます。 さっそくですが、音楽のいいところを書き綴るとしたら、単純に、それは魅力的な人が輝けるという事。性別も、年齢も、国籍も、人種も、何にも関係ない。ひたすらに、魅力的であるかどうか、だけなのです。何か醜い事が起こったとしても、最後に残りうるのは、人間として音楽家として美しく魅力的な人だけが残るようになっています。みんなが望む全世界平和は、今あなたがそこで聴いている音楽が既に実現させているという事実を、私の身の回りで起きたエピソードを交えながら皆様にお伝えできれば幸いです。

二十歳のつどい

お正月の余韻残る1月9日、日本では成人の日という事で、各地で式典が行われます。

今年は、我が家の上の子がハタチなので、これに該当します。

2022年4月に成人年齢が引き下げられた関係で、『成人式』と呼ばず、『二十歳のつどい』という名称に変更する自治体が多いようです。

振袖、どうする?

小学校時代、中学高校時代のママ友から、 同時期に予定される同窓会の話や、晴れ着姿の写真がSNSを通して回ってきます。

小さい頃から共に過ごした日々を思うと、感慨深いものです。

3年前のこと。

娘が高校3年生の頃からだと思います。

華やかな振袖とキラキラメイク、ファッション誌 の表紙みたいなダイレクトメール(DM)が毎日のように送られてくるようになりました。

最初のうちは「えー!もう!?まだ17になったばっかりだよ」と思っていました。

それに、私の娘は早生まれなうえ、予定は2023年。

振袖を着るとされる3年も前から届き始めているのです。

一方、娘の祖父母は両家ともとても丁寧で、「◯◯ちゃんの成人式に着ればいいよ」 と、私の姉や、義姉妹が着た振袖をとても大事に保管してくれていて、 少し前に桐ダンスからたとう紙に包まれたそれを、そっと広げて見せてくれたばかりでした。

…そっか。

写真だけでも撮った方がいいのかしら? と、ビニール袋に入ったDMを中を広げてみました。

インフルエンサーのあの読者モデルさん、あの女優さんが流行りのメイクをし「キラキラ」と音が聞こえそうな冊子を眺めていました。

振袖の柄って綺麗。

「今、こんな帯締めの結び方流行ってるんだ」

「 半衿も華やかだなぁ」

「あんまり和装っぽくない柄でモダン…!」

そんなことを思いながら、段々と楽しみにしていた自分がいました。

私はファッション情報が好きで、メイクの流行りも見てて楽しいと感じます。

そして、親としては「ここまで大きくなったのか!うちの子!」という達成感みたいなのもありました。

でも、なんだか違和感を感じるようになったのです。

振袖勧誘への違和感

その後も毎日届きました。
不思議なことに、1日に二通は届かないのに、いろんな着物屋さんから届くのです。
「いったい、日本の個人情報管理はどうなってるんだ?!」 と、呆れてるだけではすまないはずのこのDM大量投入作戦に、 私以外にも不安を覚えた親御さんもいるのではないでしょうか?
しまいには郵便物だけでなく、電話もかかってくるように!
たくさんの振袖勧誘の最中、ある日、娘に聞いてみました。
「成人式、どうする?振袖、着る?」
「ええ?それっていつの事?振袖なんて着たくない!なんもせんくていいよ!」
そうだよね、大学さえも決まっていない時期なのに。
こうして、我が家の成人式準備作業は早々に終了することになりました。
結局、現在は日本にいないので、このイベントそのものへ完全に関わる事なく20歳の集いの日を迎えています。

過去の私

私の場合、郵便物を面倒に感じることの方が多かったのですが、その一方で、この大量に送り込まれるDMや電話をきっかけに、式を迎える一年くらい前には大まかな段取りも決まって、「成人式の振袖、これで決まり!」とホッとする親御さんがいるのも確かなのです。

このような日々を過ごしていく中で、自分の成人式を思い出していました。

成人式を避けに避けたハタチのワタシ。

友達に会うのも辛い日々のハタチのワタシ。

写真は撮ったけど式は欠席した。

そんなワタシと照らして、「娘も嫌なのかな?」と思っていましたが、理由は違いました。

振袖を着ない理由は?

彼女の言い分をもっとよく聞くと、女子高生の制服スカートにも意義を唱えています。

「女の子のパンツスタイルが当たり前になってきてるのに!って書くのすら時代錯誤な気がするくらいなのに!」

確かに。

なぜ20年以上、いえ、30年以上前から「女子高生」といえば、制服はプリーツスカートなのだろう。

地方に行けば、自転車通学が多いですし、とても機能的とも思えません。

女子がみんなスカート履いて、カールアイロンで前髪流して、 メイクとアプリで盛りたいわけじゃないこと。

これらは一つの選択肢に過ぎないということ。

このようなことを、娘の言い分から考えたのでした。

多様性の時代が来ていることを、身近に感じました。

また、娘の出身校は、去年から女子制服にスラックスが加わりました。

多様性を重視するのは個人だけではなく、組織も対象で、徐々に社会が変化しているということを感じています。

幸せの選択肢

成人式、お振袖を着てお友達に会うのも、選択肢の一つ。

その姿に自分の成人式を思い出すのもよし。

ただし、それこそが幸せと思い過ぎないこと。

男の子だってそう。

成人式の日、袴で徒党を組んで闊歩してるのを街やテレビでは見かけるけど、 そんな目立つ子もいる反面、よく見ると大半はスーツ。

「元気ないな!若いのんは!」

なんて決めつけてはいけませんよね。

目立つから元気、とも限らないし、目立たないから元気がないわけでもない。

欠席を選んだ者だっている。

誰もが複雑になった世界で生きているのです。

生まれた時から、ノスタルジーを次世代に押し付けてはならないと心得るべきだと思います。

そして、私たちが忘れてはいけないことは、どんなシーンでも、私たちは選択肢の一つを見ているに過ぎないのだと。

それを理解しないことには、幸せの定義を狭めてしまうことに繋がります。

その事を忘れず、 多様性を守り、育てる事こそ、オトナたちの責務なのだと感じています。

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