この記事を書いたのは?
Umicopy
出身地:岡山県ピアニスト。コンポーザー。母親の影響でクラシック音楽に親しみ、クラ シック聴きながら眠るのが幼少期の一番幸せな時間でした。でもピアノの練習は苦手でした。嫌 になって10年ほどピアノから離れていた時期を経て、再びピアノの前に戻ったのは、そこに私の アイデンティティを見つけたから。現在、色々な思いをピアノに乗せて表現しています。そんな仕事ができていることに感謝する毎日です。 そんな私が、ここでは音ではなく、文字で表現する挑戦をさせていただきます。 さっそくですが、音楽のいいところを書き綴るとしたら、単純に、それは魅力的な人が輝けるという事。性別も、年齢も、国籍も、人種も、何にも関係ない。ひたすらに、魅力的であるかどうか、だけなのです。何か醜い事が起こったとしても、最後に残りうるのは、人間として音楽家として美しく魅力的な人だけが残るようになっています。みんなが望む全世界平和は、今あなたがそこで聴いている音楽が既に実現させているという事実を、私の身の回りで起きたエピソードを交えながら皆様にお伝えできれば幸いです。
お誕生日
お誕生日おめでとう!電話していい?
2/23。天皇誕生日の日。我が子も二十歳の誕生日を迎えました。
イギリス中部にある、バーミンガムで大学生をしている娘に宛てて、「朝、もう起きたかな??」 という時間帯を見計らって、日本時間の18時頃にメッセージを送ります。
節分が過ぎ、少しずつ暖かい日が増えていくこの時期は、春の予感にワクワクするし、個人的に もふたりの子どもの誕生日があるのでとても好きな季節です。
毎年、ケーキを注文したり、ちょっとしたご馳走を考えたり、プレゼントを用意したり。
クリスマスやお正月と違って、誕生日はその子だけの特別な日。 子どもを持ってから、その日は心温まる幸せな1日にしたいという思いが一層増していってます。
お腹の中にいる時から、子どもは私に勇気を与えてくれました。
「いつも一緒!」
この心強さ!ひとりで歩いているようでも、お腹にもう一人いる!
だから極度の小心者でひとりでは何もできない私でも、えい!と気になるお店に入ってみれたり、遠くまでドライブしてみたり、今までできなかったことができるようになっていきました。
いいな、子どもって。
生まれてからも抱っこ紐の中でこちらをみていたり、ベビーカーに乗って足をばたつかせていた り、私の視界にはいつも子どもがいる。
大変なこともたくさんあって、慣れない子育てにしんどい思いも随分しましたが、
全てに学びがあり、子どもが見せてくれた景色はどれもこれも素晴らしく、深く、温かく、かけがえのないものでしかありません。
娘の生まれた日のことを今でもよく覚えています。
雨も降り、明け方に陣痛かな?と病院に向かったこと。
初産なので、その後12時間近く生まれなかったこと。
想像を絶するお腹の痛みに叫んだこと。
その小さくて精巧な作りに感動したこと。
産後はあちこち痛むのに赤ちゃんは昼夜問わず泣くこと。
だから、家族や実家が一丸となって助けてくれたこと。
小さな子どもはこうやって周囲に助けられて大きくなっていったけど、 同時に私たち大人を助けてくれていました。
子どものおかげで、取り囲む大人に笑顔は増え、チームワークも生まれ、周囲の人と絆を結ぶこ とができたし、私に限って言えば心を取り戻せた日々でした。
私の人生の恩人である子どもの誕生日。
しかも二十歳という節目のお誕生日。
遠く離れた国にいるのでお誕生日のタイミングでは2年連続で会えていないのを、 とても寂しく思います。
この節目、成人式(ハタチのつどい)で同級生の親御さんからの喜びの晴れ姿写真、お祝い写真をい ただいた時は、嬉しくて、「うちも、こうしてお祝いできる!楽しみ!」 なんて思ってたせいか、一緒にはお祝いできないことを、相対的に寂しく思っているんでしょう。
2月24日
2/23と言えば。
翌日は24日で、1年前、ロシアがウクライナに侵攻した日。
わたしなどはお誕生日に離れているのが寂しいと呑気に言っているけど、娘が言うには、同じく バーミンガムの同じ大学同じ講義に集まるウクライナからの友人は、この一年は帰国もできなければ家族に会うこともできていないそうです。
ロシア人の友人もそう。
夏に一時帰国した時にスマホで見せてくれた大学の講座の写真には先生を中心に、イギリス、ロシア、ウクライナ、アメリカ、北アフリカ、アジア、世界各国から集まったみんなが一緒にいて同じように笑っています。
みてると、思うのでした。
いったいだれがこの戦争によって笑顔になるんだろう。
この戦争で、だれが幸せになるんだろう。
それぞれの政治、経済事情を守る事は、市民を傷つけ脅かすことを正当化する理由になりうるのか?
時々エゴな事を言う人がいるせいで、分別ある人たちが悲しい思いをする。
それだけでなく、犠牲になることもある。そろそろ、こういうのやめた方がいい。
子どもたちの笑顔は愛から。そこからの学びを、忘れてはいけないのです。
今、私は広島に来ています。
今年5月にはG7広島サミットも開かれるため、G7首脳を歓迎する準 備が着々と進められています。
街はいつも活気にあふれていて、地元野球チームの試合のある日は一層盛り上がります。
だからと言って、78年前の原子力爆弾投下の日を忘れたわけじゃない。 街の中心部には平和記念公園がいつも美しく清められ、佇んでいます。
ある夏、広島平和記念資料館を訪れた時、私が目にした光景が忘れられません。 記念資料館を同じように見学し終わった、海外から来た観光客であろう、でもまだ小さな子ども が、その目に涙を溜めてうなだれて座り込んでいるのを。
幼いなりに、平和でないことの恐ろしさを全身で感じ取ったのでしょう。
あの小さな子が、いつか大人になったとしても、あの日のことを忘れないでいてほしい。
そして、周りの誰かが平和とは反対の方向に向かいそうになったら、思い出して、 止めてほしい。
全ての子どもは私たちの希望であり、光であるのだから、オトナたちはそのことを思い出して、 自分の行動に責任を持ち続けなくてはいけないでしょう。
一刻も早く、どこにいる人も、自由に行き来できる時が来てほしいものです。